10年、続ける個人メディア
慶應義塾大学SFC研究所
上席所員(訪問) 松村 太郎
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10年、続ける個人メディア

慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問) 松村 太郎

慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。1980年生まれ。1997年からコンピュータやネットメディアに興味を持ち、デジタルとアナログのバランスした関係を追求するためSFCへ進学。キャンパス内の口コミコミュニティサイトのプロジェクトに参加。2001年のブロードバンド元年には「個人メディア」をテーマに、ストリーミング放送の研究・実践を行う。現在、小檜山賢二研究室でブログとケータイについて研究する傍ら、ジャーナリズムとデザインの個人事務所を立ち上げる。自身のウェブサ イトはtarosite.net。(取材日:2007年2月17日)

ブログからはじまる


松村太郎との縁はブログ。「プログラムを知らなくても簡単にホームページの更新ができる」という理由から、僕は2003年にブログのソフト「Movable Type」を使いはじめた。そこで松村太郎のブログtarosite.netを見つける。ブログの量と中身にひかれ、また同世代ということで会おうと思いたつ。


さっそく友人をたどって連絡を取り、彼がいるSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)のゼミに行く。モバイルの研究をしていた松村は個人メディアとしてのブログの可能性を語った。それから4年、今や900万人近くが使うブログは個人メディアとして普及し、ネット上の発信があたりまえの時代になった。松村は個人メディアの発信を10年前から続けていた。


10年続けたネットとラジオ


松村は10年前の1997年、高校2年の時に文字(ホームページ)と言葉(放送部)で発信を始めた。パソコンは中学生の時にWindows3.0を親が買ってきたことがきっかけ。OSがインストールされていなかったのでスターとだけでひと苦労。高校2年の時にホームページを始める。


「HTMLを勉強してサイトを作ったけど、書くことないから日記を始めた。当時は続けようと思ってやっていなかった。なんで10年も続けられたかを振り返ってみると、読者を意識しなかったから。自分のために、おもしろいと思ったことだから無理なく続いたと思う」。


ネット上で発信する一方、一人ではじめた放送部で毎日しゃべっていた。内容は街中での友人とのトークやカフェの紹介、ネットやPCの話など。当時は見向きもされなかったけれど、ラジオの原点になった。


その後、SFCに入学。2001年から個人放送を大学内で実験的にはじめる。また、J-WAVEのナビゲーター 、モーリー・ロバートソンの番組に出演して取り組みをアピール。


2002年の10月にMovable Typeを使い始める。当時は日本語版がなく、Unixのシステムがわからないと使えなかったが、大学がUnix環境だったことが幸いだった。


「この頃からずっと個人のウェブとラジオを合わせることを考えていた。自分の興味は個人メディアだと思うようになった。それから個人メディアを実現するためのツールやインフラを、意識的に調べて、試すようになった。」